長束正家陣
付近住所 岐阜県不破郡垂井町栗原
長束正家は、文禄4年近江水口5万石の領主となり、ついで12万石に加増され、従四位下侍従に叙任、慶長3年(1598)7月五奉行の一員に列せられました。
同5年関ヶ原合戦では西軍に属し、9月15日の決戦では千5百人の兵とともにここ境野に陣し、合戦前には東軍の池田輝政軍とも間に銃撃戦がありました。その後三成方の敗北を聞くと水口城に帰城しましたが、池田長吉に欺かれ自殺しました。